週報コラム 2018年6月

2018年6月3日(日)

 「わたしをお遣わしになった方は、わ

たしと共にいてくださる。わたしをひと

りにしてはおかれない。わたしは、いつ

もこの方の御心に適うことを行うからで

ある。」   ヨハネによる福音書8:29

 

みこころの天になるごとく

 ハイデルベルク信仰問答問124は、主の祈りの第3の願いについての問答です。「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。」この祈りを理解するためには、先ず「みこころ」とは何かを知る必要があります。神の御心、というとき、神が何かを行おうとされるに当たってのお考え、という面があります。また、神が人間に対して、神のお考えになっていることを行うように望んでおられるという意味での御心があります。

この第3の願いについて、古代アフリカのカルタゴで司教となったキプリアヌス(200~258年)という人が次のように書いています。「これは、『神がお望みになることを、神がなさるように』ということではない。『神がお望みになることを、われわれが実行することができるように』ということである」(『主の祈りについて』第14章。198〜200年頃)。

 神は全能のお方ですから、ご自身で行おうとなさることは何でも行うことがお出来になります。それを妨げることのできる者はいません。私たち人間は、自分の罪のために、自分の心の思いや行いによって完全に神に従うことができず、かえって背いてしまいます。そんな私たちは、神のお望みになることを行えるように神の助けを祈り求める必要があるわけです。天では御使いたちが神のお望みになることを行っています。そのように私たちにもさせてください、という祈りです。そして、いつも神の御心を行われたのは、人となられた神の御子イエス・キリストでした(左の聖句)。

 

2018年6月10日(日)

 「神は御自分のことを証ししないでお

られたわけではありません。恵みをくだ

さり、天からの雨を降らせて実りの季節

を与え、食物を施して、あなたがたの心

を喜びで満たしてくださっているのです。」

                    使徒言行録14:17

日用の糧を今日も与えたまえ

 ハイデルベルク信仰問答問125は、主の祈りの第4の願いについての問答です。「われらの日用の糧を今日も与えたまえ。」主イエスは、私たちに「主の祈り」と呼ばれる祈りを教えてくださいました。前半は「神の御名」があがめられること、「神の御国」の到来、「神の御心」の実現、についての祈りでした。今日の問答にあるように、神は「良きものすべての唯一の源」です。神がおられなければ、私たちの存在自体もありませんでしたから、私たちはそのことをまず心に留めて、神についての祈りを祈るべきなのです。

 その後で、私たちのことを祈ります。その最初が「我らの日用の糧」を求める祈りです。この祈りによって私たちのこの世での生活に必要なあらゆることを神から求めるのだ、ということを教えられます。糧というと食糧、食べ物をまず思い浮かべます。食糧は、神が私たちの益となるように与えてくださいました。実際、人が働くことによって作物を収穫できるのも、太陽、水、空気、土など一切を造られた神がそれらによって実りを与えてくださるからです。また、口から入るあらゆる食べ物が体の中で摂取され分解され、栄養となって体をつくり、活力を与えているのは、神がその量り難い知恵によって素晴らしい仕組みを作っておられるからです。

 ですから、すべてのものを造られた神に信頼しなさい、と私たちは教えられています。食糧、人の知恵や能力、お金などは確かに生活に必要なものです。しかしそれらを益となるように人に与えてくださる神により頼むことが、何より大事なことなのです。

 

2018年6月17日(日)

 「不届きな家来だ。お前が頼んだから、

借金を全部帳消しにしてやったのだ。わ

たしがお前を憐れんでやったように、お

前も自分の仲間を憐れんでやるべきでは

なかったか。」

        マタイによる福音書18:32,33

 

われらの罪をもゆるしたまえ

 主の祈りの第5の願いについての問答です。「われらに罪を犯す者をわれらがゆるすごとく、われらの罪をもゆるしたまえ。」

 これは、神に罪を赦してもらうための交換条件として、人の罪を赦すということではありません。私たちが他者の罪を赦すことができるとしたら、それは、まず自分の罪を主が赦してくださっている、ということを知っているからです。

 ウェストミンスター小教理問答問105には、「第五の祈願で私たちが祈る事は、神が、キリストのゆえに、私たちのあらゆる罪を一方的にゆるしてくださるように、ということです。私たちは、神の恵みによって他人を心からゆるせる者とされているので、なおさらこれを求めるように奨励されているのです」とあります。

 この願いについては、主イエスの「仲間を赦さない家来」のたとえを見るとよくわかります(マタイ18:21以下)。主人の憐れみによって巨額の借金を帳消しにしてもらったにも拘らず、仲間の借金を免除しなかった家来の話です。主人がこの家来を憐れんでやったように、この家来も仲間を憐れんで赦してやるべきでした。しかしこの家来は、主人の憐れみの心を理解していませんでした。私たちも、心から兄弟を赦さないなら、天の父も同じようになさるであろう、と主は言われました。私たちは他人を心からゆるせる者とされているとは言え、この祈りを毎日祈ります。私たちは毎日自分の罪を自覚させられるからです。そして常にキリストのゆえに赦してくださる神の憐れみにより頼んで罪の赦しを求めるのです。

 

 

 



年間標語

2018年 年間標語      「神の力ある業を広く伝える」
年間聖句             『あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。』                
ペトロの手紙一 2章9節

2018年の予定

                           

ホームページ

http://owariasahi.holy.jp 「教会案内」をご覧ください。

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